今日はお彼岸の中日、日本人なら普通のこと、お墓参りをしたり、、でわたしは檀家となっているお寺にお参りして先祖のお塔婆を立てました。
昨日も母のことを思い、普段なら思うだけなのに泣いてしまって、それはお彼岸だからなのかな、などと思いました。
母はお彼岸の最中の9月28日に亡くなりました。
孫娘の顔形は今後どんどん変わるでしょうが、表情が亡くなった母に似ている時があって、それを言うと娘がわかる、と理解してくれるのでわたしの気持ちが済みます。
孫娘が見せてくれる母の表情は善良な健気さを感じるそれです。
頭のいいしっかりした人でしたが、どちらかというと寡黙で陰で人のため、それは主に家族のためですが、尽くしてくれる人でした。
父は明るくておしゃべりで楽しい人、夫婦って割れ鍋に綴じ蓋って言いますが、うまくできてますね。
今の若い人に、このたとえを言ってもどこまでわかってもらえるかわかりませんが。
母が亡くなる最後の一呼吸までを、わたしは妹と孫娘のママである娘と三人で見届けました。
夜中でしたが亡くなったことを、すぐに自宅で待機していた主人に電話で伝えますと、主人は泣いたように感じました。
それはありがたいことと思っていますし、母の控えめな優しさは理解されていたと思います。
お彼岸だからですかね。もう亡くなって9年なので普段は思い出すこともなく暮らしておりますが、ここ数日、そして今も母を思い出して泣いております。
父が亡くなった時は、わたしは父には大変可愛がられたので、三年間散々泣きましたので、それにさんざん話した間柄ですので、父を思ってもう泣きません。
26年経ってますしね。
最初の孫娘が時々母に似た表情を見せてくれるって、やはり意味があるんじゃないかなって思います。