ホテル マキシミリアンの効能

プラハには2日しかいられませんでした。

初日はヴァルダバ川左岸のプラハ城とその周辺。王の道と名付けられたお城までの道を登りながら、いよいよそこはお城、となった時にはちょっと込み上げてくるものが。

楽しみにしていたところは他にあったのに、世界の美しいお城図鑑で絶対行きたいお城の2番目に位置付けられているお城の持つパワーでしょうか?

2日目は右岸の旧市街を中心に新市街のヴァーツラフ広場にも行きましたし、トラムにも度々乗り降りしました。

ですが今回一番はヨゼホフ地区と言ってローマなどでも行けなかったユダヤ人街だったところに行けたこと。

ユダヤ人街はゲットーと言って囲っているようなところもありますが、プラハの場合は、昔からのシナゴークや墓地、ユダヤ人のお金持ちのお屋敷が残っていてその頃の面影をしのぶことができると、いった感じで今は特にユダヤ人街として囲って他と隔てているわけではないようです。

ホテルは最初ヴァーツラフ広場に目星をつけたのですが、観光なら旧市街の方がということで、この度お世話になったホテル マキシミリアンに予約しました。

評判も良く割引サービスもしていて決めましたが、ここが調べて見たらヨゼホフという昔ユダヤ人街だったところにあるとわかりました。

ホテルの位置を知って、他にも俄然行ってみたかったのは「アネシュカ修道院」。

ここはチェコで初めて、ローマ法皇にお許しを得て作られた修道院とのことで、教会もチェコで最も古いゴシック様式の一つ、と言われています。

このアネシュカはプシュミスル王家のお姫様。時は13世紀始め。本当なら政略結婚をしてお家発展のために尽くすべき運命ですが、一度も結婚しなかったという人です。

そのアネシュカ修道院もなんとホテルのすぐ近所。このかたは頑なに宗教家の道を歩みましたが、王家の当主である兄や、時代が変わって当主となった甥の武運をひたすら祈ったということで、そのへんが生臭くて面白いと思いました。

これは事実といより伝説に近いと歴史の本にはありましたが、あのドイツ王でありシチリア王でもあり神聖ローマ皇帝でもあった、フェデリーコ二世の後添えのお妃として縁談があったとのことで、実はわたしはこのフェデリーコ二世に興味があって、いずれ三森 のぞみ先生のイタリア史の講座で取り上げてくださらないかな、と思っています。

そんな密かな願いも込めて修道院に行ってみたかった、というわけです。

ホテルはモダンにリノベーションされていて朝食もいいし、中心部に近いのにひっそりとしていて穴場的。次回もここでいいね、とすでにまた来る流れ。

もう一つ、実はどのガイドブックにも紹介されているプラハで最高レベルの高級レストランに行くつもりが、日曜は休みとあり、諦めていたのですが、日曜に観光を終わって帰って来たら営業していて、もう後がない。ホテルの並びのほんの二、三軒手前。

ガイドブックもあてになりません。このレストランにも次回は必ず一番に来ようと誓いました。

プラハは物価が安く、高級レストランにも行けます。

今回はホテルの場所で楽しめたし、次回にも期待を繋げた旅でした。

昨日たまたまあるコラムで知ったのですが、世界の女性にアンケートして、女性が住みやすい街、日本は17位、アメリカは16位、イタリアは19位、チェコは23位だそうです。

データは23位までチェコはギリギリでした。

上位は北欧、わたしには意外でした。

チェコは中世の武士の装束がなかなか素敵です。そのミニチュアをお土産に買おうと思っていたのに、2日間のことなので、タイミングを外して買えませんでした。

それも次回に持ち越しです。