イタリア史講座、共に学ぶ仲間って感じ

昨日は早稲田エクステンションイタリア史講座、ルネサンス期のフィレンツェと周辺都市の10回目最終日でした。

フィレンツェとルッカ、そしてシエナの3都市ですからすっきりと比較して理解できる感じのところも多々あったように思います。

三森先生のこの講座を聴講するようになって三期ですが、最初の頃は通勤時間に電車に乗って毎回通えるか、覚悟するところもありましたし、早くに着席して準備していても、授業が開始されてから30分くらいは気持ちがフアフアとして、頭の中は真っ白な感じで、聴講すること自体が大変でした。

今期は慣れて来ましたし、習慣になって余裕もできて、また少しイタリア史もいろいろ知識が繋がって来て面白みや興味が増して、比較的最初からみっちりと90分授業を聞くことができたと思います。

昨日はフィレンツェのサン マルコ修道院のサボナローナのことにも触れられました。

この人は狂信的な人として伝わって来た人ですが、研究が進み解釈も変わって来て、神に使える人としてだけでなく、政治的な手腕もあって、ロレンツォ デ メディチがなくなったあと、当時共和国として唯一成功して機能していた、ヴェネチアの制度などをフィレンツェにも導入してフィレンツェを立て直そうとしたようなのですが、教会批判に脅威を感じた時の教皇、あの悪名高きアレクサンドル6世や、フィレンツェの反サボナローナ派に、まず絞首刑ののち、火あぶりにされました。

チェーザレ ボルジア、ルクレツィア ボルジアはアレクサンドル6世の庶子です。

歴代法王の話しは結構本当に酷い話が多く面白いです。狡猾でずる賢く、また卑しいお猿さんのような肖像画がたくさん残ってます。

昨年フィレンツェのサン マルコ修道院で見学した、サボナローナの机です。

小さな質素な部屋がずらっと並んでいて、清貧な修道士の生活が伺えます。

サボナローラの横顔の肖像画が残っていて有名ですが、この横顔が怖いから、そのイメージが伝わって来たんだという一般論もあるようですが、わたしにはその横顔に、怖いより、余裕ありげに不敵な笑みを浮かべているように見えてしまいます。

サボナローナの絡みで印象にあるのは、辻 邦生さんの「春の戴冠」で読んだのですが、ボッティチェッリが、サボナローナに酔心して、贅沢や享楽は戒めるべきと、自らの作品を焼いてしまった節があるらしく。

ボッティチェッリは晩年は貧乏して失意のうちに亡くなったそうですが、サボナローナは、教皇並びに聖職会の腐敗を言ったのに、何も自分の作品を焼くことなどなかったのにと、この人は案外馬鹿なんだな、とがっかりしましたし、そんな風だから寂しい晩年だったんだなとも思えました。頑固で狂信的なのはいけないなと思います。何事も、、、、

トップの画像は、修道院の階段を上ると見えてくる、フラ アンジェリコの受胎告知、散々美術史の本や画集やあっちこっちで見ていた絵の、本ものはここにずっとあったんだ、とこういう時は絵、そのものの感動とまた違う感動がありますね。行けてよかったです。