家系図というものが案外好きです。ずっと眺めていて、いろいろ考えさせられたりするものです。画像は中世のチェコの王家の家系図です。
先だって主人の親戚が上京してきて、主人のおじいさんと、その方のひいおじいさんが兄弟とのことで、ルーツは同じでも、代が下れば別々に疎遠になるもので、でもその共通のルーツのさらに上まで調べたいとの申し出で、協力させてもらうことになりました。
有給消化のために週一で休暇を取っている主人ですが、最近の休暇は朝から役所に行ったり、また遠方の役所と電話で連絡取り合ったり、資料を送ってもらう依頼の郵便を出したり、その届いた資料を整理したり、、、そんなことが続いています。
先日そのおじいさんの名前を検索したら、新聞の見出しで見つかったらしく、大正の初期のことですが、今後はその新聞のコピーをどこからか送ってもらう冒険になりそうです。
昔は家督を継ぐとかそんなことで、とり婿とり嫁やら養子縁組みなどは、普通に行われたことのようで、そんなことがちょっと家系図を複雑にしていますが、身内意識の強い家系なのか、たまたま時代別にルーツを調べていた人が何人かいて、覚書き程度だったりそれなりに完成されていたり様々ですが、ちゃんと申し送りされて残っているので、それらを繋ぎ合わせれば、結構長い時代の一族記ができそうです。
そもそもは和歌山県の出身が北海道に渡って、そのまた何人かはブラジルに渡ってそこで会社を興したりお医者になったり、その方たちとは新婚の頃と、つい何年か前に日本に見えた時に会っています。
そんな新しいところが苦にならない家系だと感じます。
縁は異なもの、わたくしどもは見合い結婚ですが、お互いの父親が北海道出身、また同じ病気で亡くなったりと、不思議な縁を感じたものでした。
主人もわたしも新しいところ、あたらしく何かをすることは苦にならず、引っ越しを重ねて来たのもそんな縁からと思います。
主人は仕事はきちっとやって来ましたが、中ではいろいろな仕事に取り組んできたので、職務経歴書が膨大です。
昨年秋に65歳となり、少しゆっくりしてから就活すると言っていたのに、10月の引っ越しが落ち着いたら就活の資料を作り出し、年が明けたらその履歴書と職務経歴書を引っさげて、堂々の道場破り?ならぬ就活でさっさと決めてくれました。
紹介も斡旋もなく身1つで飛び込んで、示し合わせがあったかのように、年収やそのほかの条件の提示が、今現在の勤務と同じ。主人の値打ちは世間的に見ればきまっているのですかね。
四月からの新たな門出が決まって一段落していたところに、この度の家系図のお話が来て、ものすごく楽しそうに取り組んでいます。
この二、三日のうちに和歌山の役所から、お願いした資料が届くはず。そうやってひとつひとつ新事実がわかって来て、昔の北海道の厳しさを想像して中には泣ける話もあります。
ある程度まとまったものができたら息子には伝えたいですね。娘たちはどうだろう?わたしは自分の祖父母のことまではわかっているのでそれでいいと思っています。
わたしは妹と2人姉妹ですが、男の兄弟がいたらどうだったかな?と考えることは時々ありました。出来が悪かったり不良だったりしたら、、、男の子の人生って大変だと思っています。