亡くなった人に会えるお彼岸

お彼岸の中日、春分の日です。子供の頃はぼた餅をお供えして食べる日と認識してました。

母が作るからで、ぼた餅でなく、我が家ではおはぎと言ってました。

お饅頭はあんこをお餅で包むのに、おはぎは逆。

母の作るおはぎは、和菓子屋さんの二倍はある大きさで、手で形作ると四角いお重に並べていました。

母はよくおやつを作ってくれて、当時隣に住んでいた同じ年頃のお子さんのいるご家庭からは、Oケーキと言われてましたね。

Oとはそのまんま実家の頭文字。苗字のケーキです。

電気釜で作る蒸しパン、ゼリーやフレンチトースト、大学芋にミルクセーキ、お好み焼きなんかはその隣のお子さんにも大人気でした。

わたしは口の達者な母親ですが、母は寡黙なほうで、でも料理やおやつ、食べる方だけでなく、洋服やセーターなどの着るものや、細々した給食袋のようなものなどなど、なんでも手作りしてくれる人でした。

母が何もしないでいる、という姿は本当の晩年のおばあさんになってからしか見たことがありません。

そしていつもそれこそ夜なべして、ではないですが間に合わせてくれました。

これは母への信頼という点では大きなポイントだと思います。

両親ともに亡くなりましたが、子孫に先祖の思い出話しをするのは供養になると、どこかで聞きました。

この話は孫にも伝えてね、と子供達に念を押すときもあります。

そう言われてみれば、父はいつも自分の親兄弟の思い出話しを聞かせてくれました。

父の話は楽しくて、わたしが生まれた時には誰一人生きてなかったその人たちのことを、わたしは知っているような感覚で育ちました。

母にしたらしゅうとやこじゅうとの話しを聞かされていたわけで、内心はどうだったのかな、なんてわたしも大人になって思うこともありますが、母はいつも黙って聞いていたし、余計なことも言わなかったですね。

それに母は寡黙でしたが、母からも戦争の体験や、親の話はちゃんと聞かされました。

親にはよくしてもらったので、何年たっても思えば泣けます。