東京2020、せっかくだから語っていこう

日々あっという間に過ぎていきます。若い人は遠足もお誕生会もデートも、その日はなかなかやってこなくて待ち遠しくて仕方がないと思いますが、年取るとどこかで、なんにちかとばしてきたんじゃないか、というくらい一週間も一か月もあっという間です。

先週土曜日に、雨の中オリンピックボランティアの研修に行ってきたんでした。遠い昔のことのようです。

冒頭で三時間と告げられて、大変なことになった、と憂鬱でしたがやってみたらあっという間、オリンピックの意義やら歴史やら、へえ、と感心する知ってよかったという情報が満載でした。

とくに正直あまり興味のなかったパラリンピックのいろいろを知る、ちょっと楽しみになってきました。

ただ見るのと知って見るのは大違いってとこですかね。

オリンピックをやろうと提案したのはフランス人のピエール・ド・クーベルタンで、その関係でオリンピックの公式の表示はまずフランス語、次いで英語だそうです。

へえ、知らんかったわ。

またトイレなどをシルエットで示すマークのピクトグラムは言葉を超越して世界中の人が理解できるようにと導入されて、その最初は1964年の先の東京オリンピックから。

今ではトイレなどはどこでも必ずそのマークですが、最初はオリンピックで世界中の人がわかるようにってことだったんですね。

そして日本人としてのオリンピックの父、嘉納治五郎は1909年に、アジア初のIOC委員となり、その後戦争でとん挫はしましたが1940年の東京オリンピック招致まで21年も頑張られたんですね。

今年はNHKの大河ドラマでも、役所広司演ずるところの、嘉納治五郎さんはやってましたが、流して見てたから、せんだっての研修で知って、そのご苦労にびっくり、大変なことだと思いました。

そして、パラリンピックですが、戦争で障害者となった人々のリハビリのためにまず車いすでアーチェリー競技だけで始まり、少しづつ参加国が増え、アーチェリーだけでなく競技種目も増え、車いす競技だけでなくなり、その後現在のようなパラリンピックの形として開催されたのは、先の1964年開催の東京オリンピックの時が第一回だそうです。

そして東京2020では、オリンピックとパラリンピックが同じ扱いと言いますか、マークも並んで表記されますが、それも来年の大会が初めてのことだそうで、東京のオリンピックは案外初めてずくしなんですよね、、それもちょっと感動しました。

1964年の東京オリンピックはわたしは9歳、小学三年生でした。覚えてますよ。

まずマークがシンプルでかっこよくて三波春夫が歌うオリンピック音頭もよかったし、日本選手団のユニホーム素晴らしかった。

日本はとにかくすごかった、立派な国すごい国、と自然に感じられましたからね。

ボランティアに応募したもののそんなに、オリンピックに思い入れがあったわけでは実はありません。

年取って昔のようにはそうそう感動しない、、、ですが研修に行っていろいろ教えてもらって、そういえばと思いだしてくると、楽しみになってきました。

ボランティア楽しもうと思います。だいたい夫婦そろって年寄りでできるのは意外な感じもしてます。

夫婦で来てる人も、1964年のオリンピック覚えてる人も、研修で挙手させられるけどあまりいない感じです。

何かのご縁、、、暑いのは好きだし得意なわたくし、、、

トップ画像のユニフォームは支給されます。

家から着てきて街中歩いて盛り上げて、とのことですからそんなことちっとも恥ずかしくないので大いに歩き回ろう。

シャツ、パンツ、上着、帽子、靴、靴下、バックの7点がいただけます。すでにサイズはそれぞれ届けています。まずは形から、、、楽しみです。