
旅行して過去に共産国だったのはプラハだけ。おとぎの国とか、百塔の国とか、こんな美しい街が気に入ったとか、そんな旅行記を見て行ったので、写真にその美しさを残してこれるかとプレッシャーもあったのですが、それよりも過去のある時期共産国だったんだ、ということを第一に感じる街でした。
観光客で賑わうはずなのに、まず駅の階段やエレベーターが大きなスーツケースを持った観光客を意識していません。エスカレーターもましてやエレベーターもありません。
ヴァーツラフ広場からホテルに戻って来るときに乗った地下鉄の駅には、エレベーターがあったように思うのですが、一番最初にプラハに降り立ってホテルに向かう、という一番不安な場面で、重いスーツケースを持って階段を登ったり降りたりは、なるほどプラハってそういうところか、と印象づけるには十分で。
空港もまだ夕方というのにまず現地の人さえまばらで、、、空港から観光地のど真ん中の共和国広場まで直通バスに乗るつもりで安心していたのに、そのバスは一月に運行停止になったとか?
インフォの人、英語がわかってないのかも、もう一回聞いてみたら?などど娘に言って叱られて。
それで、まずバスに乗ってある駅で地下鉄に乗り換えるってことですが、乗ったバスは人もパラパラ、しかも観光客はわたしたちのみ、娘はガイドブックを見つめすぎて寄り目になってるし、、、、
その惨状を見ていて気をもんでくれている青年が視界に入ったので、娘にあの人に聞いたら?と進めると彼は待ってましたと娘のガイドブックを覗き込みながら、何やら説明してくれてます。
時々娘はそのやりとりをわたしに説明してくれたところによると、、、その人はイタリア人だが、チェコ人の奥さんと結婚してプラハに暮らしているので、この辺のことはある程度わかる、とのことで結局その方の道案内で無事にホテルに辿りつけました。
バスから地下鉄への乗り換えるのも一緒で、乗り換えの時に、階段があって、娘は辞退しましたが、わたしはおばあちゃんですからね、その方のスーツケースを持ってあげようという申し出をもちろんありがたく受けました。
結局、地下鉄の駅で一個違いまでご一緒したのですが、わたしも間を持つのに気を使いまして、娘に奥さんとは何語で普段話すのか聞いてみたら?と水向けまして、前は英語で会話していたが、今は奥さんがイタリア語覚えてイタリア語で会話をしている、自分はチェコ語は聞くことはできるが、話せないとのことで、もちろんこれは、娘の同時通訳なんですが、そこでわたしは、difficileとイタリア語でチェコ語は難しいと言ったわけでして、
そしたらその青年が頷いたのを合図に娘が、母はイタリア語習ってるんです、なんて言わなくていいこと言うからわたしは緊張で固まって、その後何にも日本語でさえ言えなくなってしまって、、、
その方にもそれが伝わったんでしょう、3人でなんだか黙ってしまって、、、
プラハで最初に親切にしてもらったのがイタリア人、そしてイタリア人には気持ちがつたわるな、と再認識しました。
プラハを訪れるイタリア人はとても多いそうで、お土産屋さんのおばさんはイタリア語で客引きしてましたし、チェコの方と結婚している方もいるなら、国民性は全く違うようなのに、だから惹かれるのか意外にも感じます。
画像はプラハのホテルの最寄駅のエスカレーターです。深くて長い、ですがさらに速くて、、、、エレベーターがないので、行きは登りでしたが、帰国するときは、この深くて長くてものすごく速いエスカレーターに25キロぐらいにスーツケースと一緒に降りないと、我が家に帰れないんだな、と悲壮に思ったものでした。
まあ、あちらの人は大きい人は大きいし、わたしもおばあちゃんなので、帰国の折には、エスカレーターの前でオロオロっとしてたら、わたしのスーツケースを持って降りてくださる方がいて助かりました。
娘は自分で頑張ってました。それでいいと思います。