中世フィレンツェの識字率の高さ

早稲田エクステンションのイタリア史講座、聞いて来ました。

15世紀の頭まで来ました。フィレンツェは共和制で、素朴だった政治も時代が下るに従って、だんだん緻密に整えられていきます。

独裁政権だと、法律などが決まっていく過程の記録が少ないのに比べて、共和制は色々決めていく過程の議事録が事細かに残っているし、さらにはその法律を決めていくリーダーとなる人たちをどう選ぶか、の過程が事細かに記録された古文書が豊富に残されているので、それゆえフィレンツェのこの時代の研究者が多いとのことで、なるほど面白いな、と思いました。

同じ理由でヴェネチアも風光明媚な土地柄の魅力だけでなく研究者が多いとのことです。

皆で知恵を絞って決まっていく法案の中で結局は失敗に終わり日の目を見なかったものでも、それをやってみようとなったことだけでも意味がある、ということの一つに、市井の人々に、戸籍のような家族のことや収入と支出の報告をさせた事業があります。

当時としてはかなり目一杯の人々が申告をしたそうで、その記録から、人口やら当時の人々の暮らしむきなどが推しはかられ、これも貴重な資料だそうです。

そしてそこから言えることは当時の識字率の高さ、なんと67パーセントあったと計算している研究者もいるそうで、この数字はこの時代としては驚異的、しかも市井の人々まで識字が及んでいることからフィレンツェの人々の素晴らしさがわかります。

昨年フィレンツェを旅行した時、本屋さんが多いので娘と、ほらまた本屋さん、ここにも本屋さんと写真に撮ったものでした。

識字率と聞いてちょっと感動しました。字が読めるって、日本においては、現代においては当然のこととしてもそれができなかったら、、、、、

しかも字も読める上に、さらに勉強したりできるってことは、、、

きょうの講義ではこの識字率のお話で一気に講義の内容が見えて来たように感じられました。

来週は一回おやすみ、いずれメディチ家のことは出てくるのかなぁ、と思いますが。