四月から二週間に一回の割合で西洋美術史とイタリア語の購読の授業を受けてます。月曜日の夜がzoomで美術史、火曜の午前中が赤坂の日伊協会で購読のリアルの授業。両方同じく松浦 弘明先生ですが一度先生の講義を聞いてみたいと思っていました。
今回の受講は長女が四月生まれのわたくしの誕生日プレゼントとして授業料を払ってくれるというのでチャンス、やっとその時は来た、、、、くらいの勢いでしたが、我が家の居間でパソコンで受ける美術史の方はいいとして、イタリア語の購読の方はなかなか大変で、ちょっと早かったかな、、と思うこともあります。
他の聴講されている先輩方は、さすが熱心で皆さんよく勉強されているし、訳などもお上手ですが、わたしは途中から入ったので、まず読んでいる本のことも理解できていません。
今週火曜日の授業ではプラトンの「国家」の引用が出てきまして、恥ずかしながら「国家」はプラトンと兄弟の対話形式で編まれている、と初めて知りました。
段落ごとに切って、なんとなく順番は決まっているようで、毎回二人ぐらいの生徒が読みますが、わたくしは三回の授業が終わったところですがまだ、発表していません。聞いているだけでももちろん構わない、という触れ込みですがやはりここは勉強してきて発表したほうが絶対いいですよ、と先輩にもアドバイスされておりますし、
だいたいわたくしは黙って座っているわけではなく質問などは致しますから、だったらやれよ、、、、ぐらい当然の立場ではあります。
二週間も間が空きますと、前回どんな内容だったかすっかり忘れてしまいますから、次回は発表すると決めましたので、今のうちにぼんやりでも覚えているうちに続きの予習をしてしまおうと思っています。
次の段落は7行、、、、その次は4行か、、、、、正直生意気を言うようですがイタリア語としてはそんなに難しくないのですが、現代の哲学者がダンテの「神曲」やらプラトンの「国家」やらを引用して語るものですから、ちょっと内容は難しいです。
平易なイタリア語であるがゆえに、なおさら解釈と言いますか表現に幅があって、どう訳の言葉を選んでいくか?はなかなかのことで、先生も断言したことは仰いません。こういうことを言ってるんじゃないかな?もしくはこういう風にも解釈できるかな?そんな感じです。
哲学書よりはまだまだその時間があるなら、もっと日常的は普遍的なイタリア語をもっと勉強するべきな、わたくしのイタリア語のレベルではありますが、、、、
この時間は日常を忘れて、教養の世界に身を置くのも素敵かも。
昨日は妹が、お姉ちゃんは好きなことを見つけて真面目にやっていてとてもいいね、、、と言ってくれましたしね。
妹は山やハイキングは熱心にやってましたが、コロンでしばらく行けてませんが、6月にはいつもの仲間と尾瀬にハイキングに行く予定だそうで、バスなど予約したそうです。
その時のコロナの様子を見て、、、キャンセルは致し方ないけど、もし行けるとなったら予約は捨て置かないと、、だから予約した、と言ってました。
わたくしはだんだん元気になっているのを感じます。10年前と比べたら今のほうが動けてますね。好きなことをするにも健康が大事。
以前はどんな日でもブログを書いたものだけど、最近は余裕がなければ書かない、、、そんな割り切りも元気の源かもしれないです。
きょうは嫌な天気ですが、Mちゃんは自転車で登園しているのかな?風邪ひかないようにみんなで気を付けましょう。