きょうは夜から雨が降る、そして昼間も一時パラパラ降る、という予報でしたが、どうなんでしょう。降らなかったし、夜も九時を過ぎましたが降ってません。
きょうも心も体も軽い、いい日でした。東京まで出かけて、夕方帰宅したのですが、半日外出しますと、体力がないわたくしは、きょうは出かけて頑張ったんだから、と自分に甘くなり、だいたい怠けがちなんですが、今日は出かける前も、帰宅した後も、一日在宅していた日と変わりなく、日常的なことや、自分で決めている課題をサクサクと進めました。
インフルエンザですが、接種したところが腫れて痛みとかゆみもありますが、少し引いてきました。主人は全く何にもなし。だいたい三日くらいで収まるそうですから、明日に期待したいです。
電車での移動時間は本を読んだり調べ物をしたりできる有効な時間ですが、ここのところ、レオナルド・ダ・ヴィンチのことを調べています。
実はわたしは、この方はあまりよく思っていませんでした。天才故、興味が多岐にわたり、何かやっては完成しないで次の興味にいき、その半端な感じがいかがなものか、と生意気にも思っていたのですが。
やはり天才はだいぶやることが早すぎて、その苦労やら、スポンサーの苦労やら少しわかってくると、大変だったんだな、と見方も変わってきます。
画像はレオナルドの生家で、とても小さな家で、かまどはあるが風呂もトイレもないそうで、わたしの読んだ記事では、その貧しさを何度も言っていました。
彼は公証人の父と、身分違いの女性との結婚外で生まれた庶子で、母親と二人でこの家に暮らしていたそうです。
両親とも別々の人と結婚して、その後どうやって育ったのか、まだそこまでわたしの勉強は進んでいませんが、
レオナルドが洗礼を受けた教会はローマ帝国時代からある、古い教会だそうですが、洗礼式には両親とも付き添わなかったそうです。
じゃ誰が抱いて連れていったんでしょう。こういうことを知ると、生まれから厳しい人生の人だったんだ、と心打たれます。
たしか、裕福な公証人の父からは相続できなかったけれども、おじさんがいて、この人がレオナルドに財産を残してくれた、と読んだことがあります。
そして、彼は左利きですけれども、この時代、つまり今から500年以上前ですが、左利きはよろしくないと矯正されたものだそうですが、庶子で育ちが普通でなかったので左利きはほっとかれて、矯正されることはなかった、となにかで読んだときは、あまり好きでなかったレオナルドを、こんないい方されて、天才なのにかわいそうだな、と思ったものでした。
まあ、生まれや育ちが普通でない芸術家は普通のことで、だから並みでない芸術が生まれるんでしょうけど、この左利きの話は記憶に残りました。
ヴィンチ村のレオナルド、でレオナルド・ダ・ヴィンチです。
いろいろあったけれど、最後はフランス国王、フランソワ1世に寵愛されて(年齢は王様のほうがレオナルドの子供ぐらいだったのですが)フランソワ1世のお城で1519年に67歳で亡くなりました。
最後まで肌身に持って、何回も手を加えていたという「モナリザの微笑」はこのことから、フランスのルーブル美術館にあるわけなんですね。
明日はまた一日在宅なので、ずっとやらなきゃと思ってなかなか手をつけられずに来たパソコン関係を、勢いをつけてやってしまおうかな、と思います。