ずっと体調の優れなかった娘がまた料理ができるようになり、お弁当も作ったと写メを送ってくれました。
この娘は食いしん坊で料理もしたいのに忙しかったり体調悪かったりでそれができないのが苦だったようで、、、
それを言ってくるたびに、気にするなのんびりやれ、またいつか出来るよ、と返信してきました。
これからだってわかりません。いつまたできなくなるか、、、
でも、旦那とは相変わらず、いや更に?仲良しだそうで、その時の返事は「はいはい」
さて、昨晩情報番組でやっていたのは、日本は世界をリードする高齢社会で、他の先進国の5年先を行っているのでお手本もないし、当然ながら日本国内的にもこんな高齢社会はなかったからどう生きていけばいいのか、今の高齢者が模索しつつ手本を示して行くことになりそうで、、、
まあ、わたしはあのやたらに人数の多い、そして一番若者らしく青春を過ごし、その後はマイホームにマイカーにと、日本経済を栄させてきた、団塊の世代のお尻にぶら下がっている世代です。
わたしの願いはひとつ、長生きしたい、そして子供達や孫達の様子を見ていたい、、、
で、昨日のお話でちょっとまた、新たに希望が湧きました。
わたしがいま、なんとか幸せに暮らせていることの理由で思い当たるのはただひとつ。
子供の頃、隣近所の、特に社宅にいたころなんか、周りの小さい後輩を可愛がって遊んできたなってことです。
ある日、まだわたしも子供でしたが、母に、自分より小さい子のほっぺをつねりたくなる時がある、可愛いと思っているのにわたしってどうなんだろう?と問いますと母は、それは可愛さあまって憎さ百倍と言って、N(わたしのこと)がその子を本当に可愛いと思っているから、と教えてくれたものでした。
いつも社宅の周りで遊んでいても、時々冒険してちょっと遠くの公園まで行ってみようとなって、その小さなお子さん達がそれぞれのお母さんにお伺いをたてると、Nちゃんが行くなら行っていい、とお許しが出たそうで、そんなことも後になって母から聞きましたが、わたしが自分より小さなお子さんをいじめないで責任を果たすということでは信用があったようです。
また逆に、自分や妹が一番下のグループ、例えば今はOBとして参加しているオーケストラなどは、自分が小学生でも他は高校生やら大学生で、なかなかできない体験もさせてもらいました。
ですから、今後もし100歳までも普通に生きていく時代なら、今後の安泰と幸福のためにも、また人に尽くす生活をしていかなくては、と思いました。
尽くす、といえば悲惨ですが、わたしがむかし小さな子達と遊んだのも楽しかったはずですし、オケの先輩が私たちと一緒に活動したのもつまらなくはなかったはず。
とにかく人と触れ合って影響を与え合うことは大切なんじゃないかなって思います。
今後、子供達が家庭を持ってその子供達のお世話なども頼まれることもあるかもしれませんが、それは百歳まで元気で幸せでいるためにしなくてはならない、当然のことと思い直せばやりやすくなりそうですね。
今は毎日本当に煩わしさもなく暮らしていますが、ずっとこのままでいいと思ってはいけないし、状況がどう変わってもやっていけるんだ100歳まで生きるんだし、と思い直しています。
さて、いま西城 秀樹さんが亡くなったとの訃報が入りました。一応わたしと同じ年とのことですが、4歳サバを読んでいるのは有名なお話です、、、それだって67歳じゃないですか、
驚いています。ご冥福をお祈りします。